【ピアニスト編1】モダンジャズピアノの開祖/バド・パウエル

JAZZセッションするなら知っておきたい~JAZZの歴史を作ったミュージシャン

【ピアニスト編①】モダンジャズピアノの開祖/バド・パウエル

◇ジャズピアノトリオを世に広く普及させたモダンジャズピアニストの寵児

モダンジャズの始まりとなったのが、ビ・パップ革命といわれるもの。それ以前はダンス音楽であったジャズをそれ自体が鑑賞できるものとして確立させたのが、アルトサックスのチャーリー・パーカー、トランペットのディジー・ガレスピーです。

その時代、ピアノはこのバド・パウエルが超絶な技法とエモーショナルな演奏で天才という名をほしいままにし、天才ピアニストとうたわれました。

彼が登場するまで、主流はビッグバンドで、ピアノトリオ自体はそれほど人気のないものでしたが、彼が自由度の高い奏法を確立したことで、ジャズピアノトリオの人気は高まり、広く普及したといわれています。

◇音楽一家に育ったパドの才能が開花。アルバムタイトルがそれをもの語る

バド・パウエルは1924年、ニューヨークのハーレムに生まれました。父も弟もジャズ・ピアニストという音楽一家で、バドは6歳からクラシックを習い、そのころモーツァルトに夢中でしたが、やがてジャズに興味を持ち、バイオリンとトランペットをやっていた兄のバンドでジャズのプロデビューを果たします。

1947年の初リーダーアルバムの収録曲8曲「バド・パウエルの芸術」は今日のジャズピアノトリオの演奏フォーマットを確立した代表的な1枚とされています。

また、ブルーノートで49年から58年に録音された5枚のアルバムは、「ジ・アメージング・バド・パウエル」というタイトルで、このようなタイトルがつけられるピアニストは別格の存在であったことがうかがえます。このアルバムには、日本でも大ヒットとなった「クレオパトラの夢」が収録されています。

◇親友は同じピアニストで作曲家のセロニアス・モンクだった

モダンジャズの発祥の店「ミントンズ・プレイハウス」で知り合った、同じジャズ・ピアニストであり作曲家でもあるセロニアス・モンクとバドは親友の間柄です。

しかし、1945年モンクと警官の衝突を止めに入ったバドは警官に頭を強打されます。それにより精神を病み、アルコール依存症となってしまいます。不安定な健康状態を抱えたバドは音楽活動を続け、その後パリに移り、新たな心境地を目指します。それでも体調は徐々に悪化し、最後は栄養失調と結核を併発して41歳でこの世を去りました。早すぎる死。しかし、彼の演奏は世界中のファンの記憶と歴史にしっかりと残されているのです。

没後20年には、パリ時代の彼をモデルにした映画「ラウンド・ミッドナイト」が公開されるなど、人気のあるピアニストだったことがうかがえます。

◇彼の演奏の特徴

その時代ジャズ・ピアニストの天才アート・テイタムが、新人のパウエルの演奏を聴いて、彼は左手の使い方を知らないといったというエピソードが残っています。テイタムは両手を駆使する超絶技巧の奏法。一方のバドは、左手でコードを引き、右手でソロを取る現在の奏法、スタイルは大きく違うのですが、テイタムの一言を聞いてバドは左手だけでテイタムの得意曲を演奏して見せ、その素晴らしい演奏にさすがにテイタムも脱帽しバドの才能を認めたという話が語り継がれています。また、バドはピアノでビ・パップフレーズを表現した最初のピアニストといわれています。

◇彼の名盤・名演奏

ここではセッションでよく取り上げられる曲を中心に彼の名演を紹介します。

◎「バド・パウエルの芸術」

1947年と53年の演奏を収録。モダンジャズのピアノトリオがこれによって確立されたといわれます。

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◎ザ・シーン・チェンジズ/ジ・アメイジング・バド・パウエル Vol.5

クレオパトラの夢 収録

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◎ジ・アメイジング・バド・パウエル Vol.1

I’t could happen to you/チュニジアの夜/Ornithology/Bouncing with Bud

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◎ジ・アメイジング・バド・パウエル Vol.2

ニューヨークの秋/I’t could happen to you/虹のかなたに/Ornithology

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